reality : unity

ヨーロッパの都市は、東京やニューヨークと違って1日徒歩で中心部が全部まわれてしまうことが多いのだけど、ケルンもそうだった。ヨーロッパはどの街でも、マックやH&Mはあるのに、日曜日はデパートやスーパー含めお店がいっせいにお休みになってしまう。教会の鐘の音が街のどこからでも聴こえる。都市なのに村みたいだなあと思った。

さらに、電車で移動のときに、延々とつづくぶどう畑(ボルドー)や平地(オランダ)を見てると、地球上のほとんどは田舎なんだなあと、音や生活に対するリアリティがずれてくる。私はまったく、小さなコミュニティの特殊な都市の住民を当たり前のように想定して、音をだしてるんだなあと、いまさらながら思ってしまう。どこまでも続く小麦畑にうずもれて音を発するとしたら、私の音はどう響くんだろう。どこに向かうんだろう。何に反射したりうけとめられたりするんだろう。

ケルン大聖堂で日曜日の礼拝をみる。オルガンの音楽と教会の音響、建築がみごとに壮大さをつくりだしてた。ロックのライブもそうなのだけど、私はそういう音や音楽が効果的に使われた結果の支配的な一体感が苦手だ。人がどうしてその音や体験を求めるのか、どう日常の感覚や生活に影響を与えて行くのか、興味深くはあるのだけど。クラブで踊ってるときには全然気にならないのにね、一体感。どうしてなんだろ。