音の鈴

去年の秋にバークレー音楽院での私の演奏をみて、CDを買ってくれた人がいて、彼が、
知り合いのアフガニスタンで片足をなくした軍人の4歳の娘さんに私のCDを聴かせたら、
悪夢にうなされて眠れない日々から解放されたり、穏やかな気持ちを取り戻すことができて
すごくヒーリング効果があった、というお礼の手紙をもらった。
アメリカに引っ越してから、戦争やゲリラや銃撃戦が、テレビや本の中のものでなくて、
日常の延長にあるものということに直面することがときどきある。
彼女のひりひりした感覚がせまってきて
平和なくらしを疑う必要のない環境で育った私の音に反応してくれたことが
ぐっと胸にきて、泣いた

「ヒーリング」が私の活動の第一目的になることは今のところないと思うけど
結果としてそういう効果がうまれてるという報告をきくのは嬉しい

うーんでも、
ヒーリングというよりは、時間や空間の不思議なゆらぎ
なのかなあ、風みたいにふーっと空気をゆらして脳と体を通り抜ける音
ゆれが、ときとして、何かを解き放つきっかけになるかもしれないけど
癒されるかどうかは、私の力というより、本人の気づきと決意の賜物

ひとやものやことはみんな鈴みたいな存在で
ある一点にいる私が音をだしたり何か行動をおこしたりすると
様々な場所で、それぞれがその鈴らしいやりかたで共鳴する
そんなふうに発せられた他の鈴の音々が、私の中で共鳴となって、また。
全く響かない人もいるだろうし
反対に、共振しすぎて大興奮状態になってる人も
他の人の鈴を無理矢理力づくで鳴らそうとしている人だとか
意地でも動かないぞー、と仁王立ちの頑固じいさんも時々いたりして。

なにせ音は振動ですから

それで
ある一点にフォーカスをしぼると私だけが演奏者みたいに思えるのだけど
鳥瞰図みたいにぐぐーっと遠くからみると、全体が音を織りなしてる、と。

そんなことを思ったりしました。